Kilgore Trout ほど有名ではないが,売れないことに関してはおそらく同等の友人が書いた小説にこんなものがある.SF なのかロマンなのかちょっとわからない.タイトルは「選択されない男」である.
主人公はそこそこ成功しているビジネスマンである.しかし,彼は見た目には魅力的であるが,女性に関してはうまくいった試しがない.実は母親も彼の姉妹達も彼とは距離を置いていた.
ビジネスの世界での成功はあまり彼に喜びをもたらさない.何が彼に喜びをもたらすのか,様々な趣味を試し,世界を見てまわり,結局彼の町に戻ってきて考えたのは,子供に何かを教えるということだった.彼は教育以外に世界を良くする方法をみつけることができなかったのだ.
彼は彼のビジネスをやめ,彼の財産をはたいて小さな学校をつくる.彼は彼の夢を追いながら,それを共有してくれるパートナーを探すが,やはり上手くいかない.彼が素敵だと思った女性は常に同じ答えを彼に返す「あなたは素敵で,私はあなたを好きだけれども,それは友達としであって,人生を共有するのは何となく正しいことではないと思うの.」
ある日彼は Berlin の白熊の話を目にする.Knut という熊は母親から見捨てられる.また,複数の雌熊と暮らすが,つがいをつくることはなかった.その熊が溺れて死に,彼は脳の病気であったらしいということがわかる.ある動物学者は私見としてではあるが,これが原因で母熊から見捨てられ,雌熊もつがいをつくらなかったのではという仮説を述べていた.
彼はそれを見てあることを思う.彼も脳の病気を持っている.女性達はそれを感じるのだ.彼は自分の子供を持ち,その子供に世界を教えることを夢見ていたが,それがかなわないと考える.そして,ある日,部屋を黒いテープで密封して死んでしまった.
この話における選択とは natural selection である.natural selection で選択されない男の話である.概要では上手く伝えられないが,主人公の苦しみは,誰にも受け入れられないまま生きることの苦しみであった.主人公の脳の問題は特殊で,女性達はそれを直感的に感じてしまうのだ.彼の魅力は認めているが,ただただ「何か正しいことではない」と感じるのだ.彼は人類のために生きるが,自然選択からは外されている.これは思考実験としては面白いかもしれないが,私は話としては面白くないと思った.
そこで私は Billy (この話の著者)に問うた.「生きているのはいいことではないのか.」彼は答えた:「苦しんで生きることには価値があるのかわからなかった.ある主の depression の患者が感じるように,彼は悲しいというわけではない.ただ,喜びや興味を感じないことが苦しみとなっていたのだ.その人に私はそれでも生きろとは言えなかった.」私は驚いた.Billy がある種の心理療法を受けていることを一度聞いていたからだ.しかし,命はそういうものではないのかもと思うと言うと,彼は続けた.「この結末は確かにあまり良くないと思っている.出版されているわけではないし,その見込みもないんだが,できれば変えられないかと思う.でも,今はこの結末しか見えないんだ.」
Billy は言う「誰にも受けいれられないまま生きるほど強い人間はいない.生きていた方がいいとは簡単に言える.私にはどんな結末がいいのかわからない.」
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