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Showing posts from October, 2021

「失礼」という言葉が「論」とすり替えられる。

「失礼」という言葉が「論」とすり替えられる。 私が日本の大学で働いていた時,興味ある科目があり,私が教えていることに関係があったので,その先生の授業に参加させてほしいとお願いに行った。その先生の教えていることを深く勉強して加えると私の授業が良くなると考えたからだ。すると「ちゃんと授業料を払っている人に失礼にあたる」と断られた。 私がある日本ではない国の大学で働いていた時,興味ある科目があり,参加してもよいかと尋ねたら,ぜひ来てほしい。何か改善すべきことがあればぜひ教えてほしいとその先生にお願いされた。以前の経験で断られるのではと思っていたので問題はないかと重ねて尋ねると,授業を改善するのは学生のためでもあり,それが大学の存在する理由であり,それが先生の義務でもある。という答えであった。 そこで考えた,「何が失礼だったのか」。その後,様々な場面で,「失礼だ」ということで議論が止まっている例を見た。古い利権を守りたい人間が,「そんなことは(私たちの利権に)失礼だ」と議論を止める場面。社会全体を不利益にしているのが問題であり,礼の問題ではない。なぜ礼の問題になるのかを説明してもらえるとありがたい。また,とある政党が協力をしたくないため,「有権者に失礼だ」という場面。そこでは市民の会が共闘を呼び掛けている選挙区だった。市民の会の声を聞かない政党に,なぜ失の問題になるのか説明してもらえるとありがたい。 単純化するのは危険であるが,「失礼」という言葉に注意してみることはよい警告になるようだ。「失礼だ」ということで,「礼を守る社会」では相手をおとしめることができる。生きるか死ぬか,生活できるかの問題を議論している時に「礼」の問題を持ち出す人には注意してみる方がよさそうだ。