私がソーシャルメディアをあまり使わなくなってからずいぶんたつ.自分の時間をソーシャルメディアで上手く使えなかったのが原因で,何か上手く使う方法があるのかもしれないとは思っていたが,今日,次の TED トークを聞いて,ちょっと違う面を考えた.
ソーシャルメディアでは通常,Like/Dislike という形でしか記事の評価がない.この場合,センセーショナルなうわさや,ヘイトスピーチの評価は高くなる.それは,好きにしても嫌いにしても簡単に判断できるからだ.そのような評価では対話や理解は記事の評価には入らない.たとえば,ヘイトスピーチの典型例として,「特定の宗教を持つ人々を地域から排除せよ」というような発言はLike/Dislike の合計クリック数としては高いスコアになるだろう.そしてそれが注目される記事として高く評価される.読者が多いとされれば,広告業界は注意を払うだろう.典型的な Yellow Journalism の手法である.
つまり Like/Dislike 評価では,新しく学ぶという要素がない.既に好きなら好き,嫌いなら嫌いとなるような記事が評価される.もし私が,記事の質を落としてポピュリズムに走れば,私の記事はより「好き」か「嫌い」かどちらかのクリック数を獲得できる.それが注目されていることの指標になる.しかしそれは本当に興味ある記事なのだろうか.私の場合,結局そういう人達の記事を読まなくなった.一時的に注目を集めてもやがて特定の人以外は読まなくなるだろう.
ソーシャルメディアで他の基準はできないものだろうか? もっと質に関わるような評価方法はないのだろうか.Ghonim は提案する.「好き」,「嫌い」ではなく,「私は考えをこの記事で少し変えた」というような評価である.この場合,人は知らない世界や基準について学び,自分の考えを少し変える.自分の世界を少し変える,特に広げる場合,それは学びである.人が新しいことを学び,世界を広げていけるような,そういう記事こそが質の高い記事ではないだろうか.だから,「この記事で私は新しいことを学べた」というような評価もあるだろう.
クラブのようなものでは,好きな人が集まることには何の問題もない.しかし,社会的問題などの対話の場所としては,ソーシャルメディアが好き嫌いの分断化を促進するだけでは社会にとってまずいのではないか.Ghonim は彼自身が深くかかわったエジプトの 2011 年の例をとってそれを語る.このトークは私のソーシャルメディアにある like/dislike についての考えを変える面白いトークであった.
私も Like/Dislike ではない.新しい対話と理解の助けについての reward のある形にソーシャルメディアが発展することを望む.
Wael Ghonim: Let's design social media that drives real changeソーシャルメディアを使っていて,少し感じていたのは,このトークの polarization の部分である.ソーシャルメディアでは,何かを好きな人が集まる場がある.しかし,多くはもともと何かを好きな人で,新しい考えの人はなかなか入ってこない.ちょっと違う考えの人は他に行ってしまう.結局実際の友達とのカフェの会話の方が違う考えがある程度はいってきて私には面白いのだった.少し違う考えでも,ソーシャルネットワークではその場でログアウトしてしまうことができるが,友達とカフェにいればそうはいかない.つまり友達との会話には理解と対話があることが多い.
http://www.ted.com/talks/wael_ghonim_let_s_design_social_media_that_drives_real_change
ソーシャルメディアでは通常,Like/Dislike という形でしか記事の評価がない.この場合,センセーショナルなうわさや,ヘイトスピーチの評価は高くなる.それは,好きにしても嫌いにしても簡単に判断できるからだ.そのような評価では対話や理解は記事の評価には入らない.たとえば,ヘイトスピーチの典型例として,「特定の宗教を持つ人々を地域から排除せよ」というような発言はLike/Dislike の合計クリック数としては高いスコアになるだろう.そしてそれが注目される記事として高く評価される.読者が多いとされれば,広告業界は注意を払うだろう.典型的な Yellow Journalism の手法である.
つまり Like/Dislike 評価では,新しく学ぶという要素がない.既に好きなら好き,嫌いなら嫌いとなるような記事が評価される.もし私が,記事の質を落としてポピュリズムに走れば,私の記事はより「好き」か「嫌い」かどちらかのクリック数を獲得できる.それが注目されていることの指標になる.しかしそれは本当に興味ある記事なのだろうか.私の場合,結局そういう人達の記事を読まなくなった.一時的に注目を集めてもやがて特定の人以外は読まなくなるだろう.
ソーシャルメディアで他の基準はできないものだろうか? もっと質に関わるような評価方法はないのだろうか.Ghonim は提案する.「好き」,「嫌い」ではなく,「私は考えをこの記事で少し変えた」というような評価である.この場合,人は知らない世界や基準について学び,自分の考えを少し変える.自分の世界を少し変える,特に広げる場合,それは学びである.人が新しいことを学び,世界を広げていけるような,そういう記事こそが質の高い記事ではないだろうか.だから,「この記事で私は新しいことを学べた」というような評価もあるだろう.
クラブのようなものでは,好きな人が集まることには何の問題もない.しかし,社会的問題などの対話の場所としては,ソーシャルメディアが好き嫌いの分断化を促進するだけでは社会にとってまずいのではないか.Ghonim は彼自身が深くかかわったエジプトの 2011 年の例をとってそれを語る.このトークは私のソーシャルメディアにある like/dislike についての考えを変える面白いトークであった.
私も Like/Dislike ではない.新しい対話と理解の助けについての reward のある形にソーシャルメディアが発展することを望む.
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