Monday, May 20, 2013

Fascist hunter

Kilgore Trout ほど有名ではないが,売れないことに関してはおそらく同等の友人が書いた小説に「Fascist hunter」というものがある.



Umaya は Fascist hunter である.Fascist hunter は「真のFascism」と呼ばれる人々をみつけ逮捕する賞金稼ぎである.真のFascistたちをみつけることは困難である.通常彼らは普通の市民と見分けがつかない.それに手を焼いた各国政府は真のFascist達とその組織に賞金をかけている.真のFascistは組織立っているらしい.Umaya の世界では人々は生存時間に税金を払う必要があり,支払いがとどこおると,suspend されてしまう.ただし,5年に1年は税金を収める必要がない.彼は一度事業に失敗し,4年間冷凍睡眠させられていた.

彼は自己の幸福の追求のために,手っ取り早い収入として,危険はあるがハンターとなることを選んだ.ハンターたちは思想強化装置を脳に埋めこむ必要がある.なぜなら,真の Fascist 達は洗脳をすると信じられているからである.ハンターのうちで真の Fascist 達の仲間になるものが絶えない.この装置は,個人の自由と個人の幸福の権利こそが最重要なものであるということを脳に感じさせ,洗脳に抵抗することができる.

真のFascistたちは,普通の市民に見えて,時に市民を殺害することがある.今回犠牲になったのは,巨大電力会社の役員と農作物の種を生産するバイオ会社の主任研究者である.

Umaya は苦労の末,真のFascist の一員と思われる Leuko という医師に接触することに成功する.彼は身分をいつわり,真のFascist に興味のあるふりをしている.Leuko とその友人達はなかなか正体を示さない.Leuko たちは,学校を尋ね子供達に生物学を教えたりしている.Umaya は一度,Leuko の公開授業に呼ばれる.Umaya は彼らが公開の授業で何か洗脳をしていないだろうかと疑う.授業では細胞の増殖の話がある.子供達は興味深く Leuko らの話を聞いている.細胞はあまりに増殖すると,増殖を自分で抑制したり,あるいは自分自身に異常をみつけると Apoptosis という自殺をする.それによって他の健康な細胞を生かすのである.細胞自身が自分の食べたいだけ食べ,自分の増えたいだけ増殖する異常を示すことがあり,それを癌と呼ぶ.などという話である.Umaya は授業での洗脳活動の痕跡を見い出すことができない.

Umaya はいかにしたら,Leuko が真の Fascist たちの一員であるかどうかわかるか考えるが,ある時深入りしすぎて囚われてしまい,彼の思想強化装置は除かれてしまう.しかし,Umaya は洗脳は受けない.

Leuko は彼らの活動の真意を説明する.Real fascism は実は非営利の企業である.その目的は人類の種の存続である.人類全ての生存と,個人の幸せの追求は時に矛盾する.個人が楽をするためにエネルギーを無制限に利用し,代替エネルギーを開発しなければ,子孫はエネルギの枯渇に直面し,人類は滅亡の危機に立つ.個人の権利を無制限に追求するのは,まさに癌細胞と同じである.DNA がfascist の祖であった.DNA は自分とそのコピーの利益のみを最大化する.Fascismは その範囲を広げてきた.細胞,個体,家族,部族,国家,会社.個人の幸福を追求することも Fascism の一種であり,しかしそれは単に範囲が狭いだけである.

彼らはその名の通り,真の Fascist なのだ.彼らは人類という種のために活動しており,そのためには個人の幸せを追求する権利を二番目に置くのである.かつて Fascist たちは特定の国の特定の人達の利益のみを考えていた.彼らは真のFascist ではない.真の Fascist たちは国,人種,宗教を問わず,人類全体の利益のみを考えているのだ.この世界では個人の自由と幸せになる権利はもっとも重要なもので,ある組織のためにそれらが犠牲になる fascism はタブーである.Fascism は次の段階に入っている.それは人類全体という組織を優先する考えである.そして Leuko は言う,我々の Fascism は第三段階目に入った.それは人類だけではなく地球に住む生命全体の幸福を追求する段階に進むところである.いつかこれが宇宙全体を考えるところまで発展するであろう.この Fascism は悪なのか,Umaya にはわからなくなった.

「真の Fascism にようこそ.」



私は内容はユニークで面白いと思った.Fascism というと考えることもなしに悪であり,それについて考えることがタブーであったりもする.私は自分自身がこの「思考停止」に陥いっていたことに気がついたので,その意味で興味深いと思った.

しかし,終わりが Kilgore Trout の小説「ドッグハウスにようこそ」を思い起こすので,それはやめた方がいいのではないかとBilly に話した.彼は,「ドッグハウスにようこそ」を読んだら誰でもこういう終わり方を一回はやってみたくなる.でも,最後の一文は出版する時にはなくそうと思う.ということである.

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